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2003-01-19_ 著作権すきなだけ延長可?Lawrence Lessigががんばっていた裁判で敗訴。この件については、日本でもニュース(「ミッキーマウス20年延命 米最高裁が著作権延長支持」共同通信)になりました。法律というのは、遵守することでますます皆にとって有益になるように整備されるべきだと思うわけですが、どうも日本でも米国でも逆方向に流れているような気がします。遵守すればするほど不毛になる法律を、どうしろというのでしょうか。 法学者白田秀彰さんが、レッシグの『CODE』を読んで「フランス革命の時も群集の先頭にいて、サッサと撃たれて死んだ奴がいるんだよなぁ」それでいいや。という気になって書いたという「グリゴリの捕縛 あるいは 情報時代の憲法について」を読むと、憲法というのは単にある時代のある特定の国の最高法規というものではなく、「現在の憲法(基本法)は、国家の形態や活動を縛る一方で、私たちの権利や幸福を保障するために国家が活動することを求めるもの」になっているそうです。ここで、縛られるのはわたしたちではなく国家の側だというのがポイントですね。そして、これからも「将来何か新しく大きな力が生まれ、それが私たちの「人間的なあり方」を侵すならば、そうした力を縛り、抑制し、私たちの人間的なあり方を保全する仕組み」を作らねばならないということです。憲法という形でなくとも、それが基本法というものだと。 ミヤダイ.com によると『CODE』書評では「憲法とは市民と統治権力の社会契約」と説明し、ここでは「法律とは統治権力から市民への命令であり、憲法とは市民から統治権力への命令だ。憲法が法律に優越するとは、統治権力が、市民が統治権力に命じた範囲内でのみ市民に命令できるということ。人権とは、統治権力が侵してはならない市民の行為領域だ」といいます。ずいぶん簡潔ですね。『憲法対論』まえがきでは、「(1)憲法なるものを熟知し、(2)現実なるものを熟知し、(3)憲法なるものの射程と限界を見極めて現実なるものに対処する──それが21世紀を構想するのに最低限必要なことでしょう」最低限といいますが、すごいたいへんなことやんか。 昨今の政治情勢を踏まえて考えておくべきこと(第三部)では最後らへんで、レッシグの『CODE』の考え方を利用して反対運動のあり方を考察しています。なんらかの法案などに反対する場合、「デモをやり、集会をやって、「反対」のシュプレヒコールをあげるようなやり方」は無意味であって、「社会運動オタクが自己満足に耽っているだけという状況」は、わしもかえって有害だと思う。そして最後のセクションが「成熟社会の中の社会運動 —今、何が必要か」、なかなかおもしろいです。 _ 東京七千ワシントン数十万東京日比谷公園のデモは7000人ほどだったそうな。あれだけいろんなグループが連係してもそんなもんかーと思ったけど、このデモの廃れた日本で7000人はなかなかの規模かも。昨年秋頃にも鶴見俊輔やら小田まことあたりが呼びかけて渋谷でやってたけど、みんなしらんもんな。今回のは朝日一面に載ってた。写真全面が楽器をもった若い人たちで、皇室ファン(笑|でも旧正田邸とりこわし反対運動はアホやてゆうてた|豊郷小学校の件は残すべきだというてた)の母もなんかこの写真ええなあ、てゆうてた。ちなみにわしは…忙しくてしんどくてうちで倒れてました。 Paulを通じて連絡くれたイスラエル人(?)と会う都合もあって、いきたかってんけどな。まあ。新聞一面に写真がでたら、さすがにちょっとは知られるやろし、またそのうちやるやろ。米国情勢がこの調子では。北朝鮮の件も、情勢次第では。 世界中で1月18日が選ばれたのは、マーチン・ルーサー・キング牧師の生誕日に因んで休日だったというのことで、ANSWERが呼びかけたからだそうです。各地で数十万単位のデモがかけめぐっています。米国では参加者が「わたしたちこそがアメリカのメインストリームです、ホワイトハウスにいる人たちと少数の金持ちの方が、周辺的な存在なのです」と発言していたとか。ちからづよい。近々集計がでるでしょう。ブナ林便りやイマジンでは各地のデモの様子をとらえたニュースがどんどん紹介されています。 このデモが全米の一般市民にまで事前に知られることとなった一因に、何週間かまえの月曜日にニューヨークタイムズに載ったこの意見広告の成功があります。日本でも、このような意見広告が企画されています。代表の三木睦子さんというのは元首相のおくさんかな?石牟礼道子さんは水俣病関係の著作でも有名な方。よびかけはじめた yasuda setsuko さんは冷静な遺伝子組み換え食品FAQをまとめてらっしゃる。 世界各地の反戦デモの一方で、アラブ世界の無反応を嘆く声もあります。エドワード・サイード「ゆるしがたい無力」、ペルヴェズ・フッドボーイ「イスラムとの戦争か?」など。後者は、国際法が機能していないこと、文明間戦争ではないこと、それに 9.11のテロ行為自体がムスリムに多大な弊害をもたらしたこと、の三点が明確に論じられています。 _ 反戦の方法いろいろええと、こちらから引用:「戦争に反対する我々は過去の戦争を止めることができなかったことを反省すべきである。反対をするのに同じ手法を用いても効果はないだろう(たぶん)」。この「手法」というのが何を意味するのかというと「多くの人が戦争反対のデモ行進や言論」とか「スローガンを叫ぶこと」のようです。なにか具体的な法案などの場合には、著作権のところでもこの文章を引用したように「反対してるだけぢゃだめ」というミヤダイの批判があたっていると思います。 しかしベトナム戦争をあの時点でとめることができたのは、全世界(とくに全米)各地の反戦運動のもりあがりの影響がたいへん大きかったようです。上にも紹介した「イスラムとの戦争か?」をご一読ください。パキスタンの物理学者が、アラブ諸国の人々に語りかけているものです(MIT留学当時にベトナム反戦運動を経験したのがおおきいらしい)。戦争を遂行する側にとって、自国およびその周辺の世論を敵にまわすのは致命的なのです。一人ひとりの思いを、世論として表明する有効な方法のひとつが、反戦デモであることに相違ないと思います。 スローガンについては、反戦デモ参加者のなかでも様々でしょう。しかし基本的に数十万の人が集うのは自分たちは「殺したくない/殺されたくない」というだけの思いで充分だと思います。反戦デモの場合、たくさんの人々が、同日に、世界中で集うこと自体が重大な意味を持つと思います。したがって、楽しく集えるようにするというのも、大切だと思うのです。 まったく、数日前に「なんで群れるのか」とかいいだしたんは自分なんですけど。 _ 後半ではうれしい提案もしてくださっています。「そこにどんな素晴らしい人々が住んでいて、どんな素晴らしい文化があって、どんな美味しい料理があるか。僕たちと根底では変わらない楽しい生活をしているのか、想像するのではなく、日本にいながらにして具体的に見聞き味わうことができるはずだ。これは 20 世紀後半に我々が手にいれた技術によって初めて可能になったことだ」この提案にはまったく同意します。 それに、既に多くの人達がその努力をしています。個人的にふだんよくみるところだと、アフガンめも・パレスチナめもも参考になります。チェチェンなら、チェチェンウォッチやチェチェン総合情報など。他にも、特に日本語に限らなければ、膨大にあるでしょう。ろしあんピロシキのような異文化の素朴な情報を伝えてくれる情報もありがたいです。ウェブでなくとも、さまざまな(あまり商業的でない)映画を観たり、音楽を聴いたりすることもできます。また、学生であればさまざまな国からの留学生との交流も。きっといろんな方法があります。 _ ちょっとけいろのかわったのでは、田中宇さんも参加している「人間の盾」作戦(チョムスキーも応援してる)があります[guardian, observer]。呼びかけている Ken Nichols O'Keefe さんは、湾岸戦争のときに海兵隊で参戦して、米国の悪行に嫌気がさしてアメリカ人を放棄してしまったのだとか。33歳位だそうです。政府のむちゃくちゃをみながら無力感にうちのめされるより「盾」をやって死んだほうがましだとおっしゃる。田中宇さんの読みではじっさいは爆撃はなかろうということですが、さて。 「人間の盾」作戦、ボランティアの数はかなり増えたそうですが、資金がたりないそうです。応援してください。ワシントンは人間の盾は戦争犯罪だとかいってます。こういうときだけ都合よくでてくるのも国際法の使われ方。一方ではそろそろ金をせびりはじめている米国ですが。 _ 文章の書き方ここしばらく、英語の blog をいろいろ読んでいて思ったのは、やはり阿呆は何語でも阿呆やという当然のこと。やまがたさんも敗訴のことでかいてるけど、ほんとに。わしの場合はエリック・レイモンド周辺を読んでいて頭痛に悩まされました。もうひとつ気付いたのは、まともな内容でも喋り言葉やジャーゴンを多用すると、非常に読みにくいこと。きっとネイティヴ同士ではそれで問題ないのだろうけど、気になる情報を収集している立場からすると、やはり読みやすい文章の方がありがたい。というわけで、わしもなるべくクリアな日本語を書こうと思いました。といいながら、どうしても大阪弁はいったり、いいかげんな文章かいてしまいがちだけど。まあほどほどに。 *ツッコミたい方は頭からどぞー |
車で日比谷公園の脇を通りました。多少旗を持っている姿だけは確認いたしました。以上報告まで。
この日の朝日の一面の写真中央にいるのは僕の友人です。ちなみに横にいる女の子はその妹。<br>以前僕も参加していたある活動団体の人です。