あーね。remo [ ja / en ] BreakerProject log-osaka Indymedia Japan rootless.org 散歩部アンテナ DeeDee Halleck 粉川哲夫 micro silent TV
用語集:
新しいツッコミ:
スケジュール: |
2003-01-17_ なんのためのチョムスキー?かわかみさん日記[2003/01/14]にて、先日のチョムスキー叩きを紹介いただきました。たしかにチョムスキーの引用・利用のされかたは気になります。某都知事は、「チョムスキーという学者は米国こそテロ国家だといってるけど、まさにそうだよね」みたいなことをいったとか。某都知事は「反米」をよそおいながら、米国に認めてほしがっているだけで、むしろ米国になりたがっているといった方があたっているようです。なりたがっても無理でしょうけど。『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由。』に詳しい。 デオドラントな社会は真棉のように首を締める。 _ 話を戻す。「チョムスキーも言うように…」という利用の仕方はそもそもほとんどありえないはず。まずチョムスキーはあまり何かを主張したりはしない。ほとんどが事実の比較(ややこしい言葉では相対化)による、常識的な判断にすぎない。しかも、その判断はそれだけを取り出すとたいてい常識的すぎてつまらないほど。「米国こそテロ国家だ」というのはまさにそれ。ただし、列挙する事実が膨大だったり綿密だったりするために、きわめて常識的な判断が余計に重みを持つ。しかし、その常識的な判断を、うのみにする理由はない。各自の脳ミソを使えば良い。常識的な判断や結論が、結果として皮肉にみえるとしても、チョムスキーの意図というより、むしろ皮肉なのは事実にまつわる情報の方である。 チョムスキーは情報を徹底的に収集・整理し、みすごされがちな事実を発掘し、観点は揺るぎない観点から比較する。 チョムスキーの文章の意義は、ここにある。自分の無知を自覚し、知り、学ぶための情報源として活用しなければ無意味だろう。読者一人ひとりがそうすることこそ、チョムスキーの本望でもあろう。驚くべきはチョムスキーの「レトリック」などではなく、現実の有り様の方だ。 事実は事実であって、情報に疑問があればそのソースをこちらでも調査し、比較検討すれば良い。むしろすべきであるし、間違いをみつけたら指摘してあげれば良い。たとえばサイードは、アラブ側情報源にも耳を傾けなさいとチョムスキーを諭した(p.278『学問と政治』)。これは'95年以前の話で、その後どの程度チョムスキーに影響を与えたのか知らないけれど、いまもサイードとの友人関係は保たれていること、相互の情報交換が続けられていることを考えれば、当時の議論も有益なものだったのだろう。サイードはチョムスキーのみならず世界の人々にむけて、アラブ世界の情報を伝え続けているし、チョムスキーへの賛辞も惜しまない。 [この前後、追記・改訂, 19.Jan.2003] まともな批判ならばむしろ歓迎されるべきものであって、決して不毛ではない。むしろ批判というのは本来まともなものではないのか。まともでない批判はせいぜい非難、いちゃもんやなんくせの類であって、批判と呼ぶに値しない。それはともかく、安易な引用・利用の場合、事態はまったく逆である。「レトリック」に驚き、事実を軽視し、結論らしき一文だけを受け売りする。そんなことでは、ますますアホになる一方。事実を重んじ、事実を見て、事実を調べ、事実を伝える。そのためのチョムスキーではないか。 _ いままでしらなかったことを学ぶ時に、手軽な資料集が手元にあると重宝します。そこでおすすめなのが古藤晃著『世界の「紛争」ハンドブック』。地域別各国別に地理情報とここ百年くらいの歴史、紛争の経過、紛争の原因・背景、キーワード、キーパーソンなどが簡潔にまとまっています。各国4ページずつくらい。巻末にはブックガイド、固有名詞日英対照表、略語対照表、索引も充実していてとても便利。中米が若干手薄でニカラグアやグァテマラが抜け落ちていたり、ベトナムやラオスなど現在めだった紛争の無い地域も抜けてたりするのは残念ですが、それでもおすすめできる一冊。もちあるくにも気軽なコンパクトサイズ。(宣伝上手?) _ ラオスの米国人/日本の老人Hotwired 「人力発電とリナックスで、ラオスの村にインターネットを」、 ベトナム戦争を含むインドシナ戦争の時に、米空軍はニクソン・キッシンジャー体制の下で何度も秘密爆撃を行なった。これが暴露され、米軍は撤退した。それはもう30年ほど前の話であるが、それは社会のインフラ(まずは農村)を破壊しつくし、家族を離散させ、いまも後を引いている。かつてその爆撃に若干ながらかかわった米国人が、そのことを語り、このようなプロジェクトを地元のひとたちと実現しようとしている。米国政府とは関係なく、これもひとりの米国人の姿である。 _ 話はかわる。北朝鮮の話になって、かつての日本の侵略戦争について触れると、それとこれとは別だという。強制連行が拉致の別名であって、さらに大量の虐殺をくりひろげたにもかかわらず。それはともかくひとつ疑問がある。なぜ朝鮮(南北)戦争は話題にならないのか?その特需で経済発展したことも忘れたのだろうか?北朝鮮に対する爆撃でも、ダムを爆撃した。水田を潰し、洪水で流し去るために。あいだに朝鮮戦争をおけば、大東亜戦争と現代の北朝鮮は断絶したものではなくなる。それは明白に連続した現代史である。なぜ南北に分断されているのかを忘れ、北朝鮮のプロパガンダ・ビデオを茶かして笑うごとに、なにかを失っているのではないか。 _ 鶴見俊輔がさいきんどこかで言っていた、「おれは人を殺した、人殺しはわるい、と言うことが大切だ」と。わたしはききたい、高齢化社会に生き残ることのできた老人たちの「おれは人を殺した、人殺しはわるい」という声を。人殺しの有り様を。そしてもうすぐ、その世代はついに消え去る。黙って消えるとでもいうのか。 _ そして石原慎太郎がのこった…、では洒落にならない。 *ツッコミたい方は頭からどぞー |