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2003-01-13_ あほネタ欠乏症最近あほネタが少なすぎるんぢゃ、というありがたい苦情をいただきました。おっさるとおりでございます。わしも若干苦痛です。しかしZネット経由のみなさんの目を気にしてしまうのです。いつものことながら、自意識過剰ですね。反省ちう。 _ チョムスキー叩きチョムスキー・バッシングがいまblog界でファッショナブルだそうです。ほとんど無内容なものですけど。チョムスキーを叩くのはかんたんで「米国の過去の罪をくどくど並べやがって」とか「今ここにある危機を見よ」とか「思考停止だ」とか「旧式あほ左翼だ」とか、ちょっとむかしの文章をかじったふりして皮肉ぽく「ポルポトの虐殺を過小評価したのはどうしてだろう?」とか「東チモールの虐殺の責任が我々にあるというのだろうか?」とか「MIT教授という特権階級に寄生するディシデント?」だとかいえばウケルみたいです。こんなかんじで英語圏blog界でかけば、きっとあなたも大人気!みたいな。 カンボジアと東チモールについてはコレをどうぞ。 _ チョムスキー・バッシングが流行ってるのは前に紹介したように、反イディオタリアン宣言がblog界で形成される過程で、エリック・レイモンド自身のコメントにもみられるように、チョムスキーがあほ左翼「イディオタリアン」の典型としてあげつらわれた影響がおおきいようです。ここらへんではアンチ・チョムスキーのサイトをつくる話とかもりあがってます。 _ Noam を Gnoam ともじるとか(ときどきもじり忘れて Gnomeと書いてしまう人もおり)、ロバート・フィスクの苗字が動詞化して fisking とか、さらに名詞化して fisker とかいう造語ができてる、なんて細かいネタはおいといて、このドクター・ウィーヴル氏はチョムスキーをルイセンコ並の詐欺師だといいます。 _ コメントのみなさんも良い(?)ネーミングを考え出そうと本のタイトルをひっくり返したりいろいろしてるんですけど、こんなことする暇あればちょっとはその本を読めばいいのに。とか思ってたら、すぐ「**を読んだか?」と聞くのはあほ左翼の習性だとどっかで揶揄されたりしてました(苦笑)。 _ そんなの時間の無駄だとか、「チョムスキー・サックスどっとコム」というネーミングはどうだ?とかいう中に、例によってホロコーストを支持したとかいう人があらわれたみたい。そしたらちゃんとした人がそれは間違ってて本当は…とちゃんと説明して、ついでに(アフガンの件で)「予言した」というのもウソで…と説明してる。東チモールの件でもきちんと説明する人があらわれて、他の人はフォリソン事件のもとになった「コメント」と「彼がそれを言う権利」を全文引用(これはちょっとコメントにつけるには長すぎて、やりすぎ|このへんについては、流言飛語を参照)。 _ 締めは「愛国心は悪者の最後の逃げ場所」という英国の文豪サミュエル・ジョンソンの引用。ちょむすきの本読んでないのをみるに、「文盲の(最後の逃げ場所)」とつけたそう、とかいってる。 _ ドクター・ウィーヴル氏はキレたみたいで、Gnoamたちの襲撃て記事を書いた。説明していた二人は、これにもきちんと返事かいてる。最後にジョンソンを引用したVogtくんは時期がずれたのでここでやられてる。これには本人も応えてない。 _ ちなみに、読むに値するチョムスキー批判はこのへんが便利かも。でもものによってはちょっと話が詳細すぎて微妙。おおざっぱな批判はおおざっぱやしな。昨今の安易なバッシングの趣旨は要するにチョムスキーというよりも、基本的には「反戦」をばかにするものだし。この批評リストの著者のサイトは参考になる。 _ 銃規制とリバタリアニズムところでドンパチ論者になってしまったエリック・レイモンド(esr)ですが、反イディオタリアン運動よりもずっと前、9.11当日にとある文章を書いています。「テロリズムに対抗する脱中心主義」という文章です。「空港のセキュリティではだめだ」、「監視の強化でもだめだ」、「飛行機とかテロの標的にさらされそうな処から、市民の武器を追放するのはだめだ」、そんなことではハイジャックをくい止めるチャンスを逃してしまう、と言います。これが、分散する問題には分散した処方が必要だというインターネット技術者として学んだことだそうです。一人ひとりの市民が生命と自由(!)を自衛する責任を持つのだというのですが… _ たしかに監視が必要以上に強化されることには問題があるだろうと思いますけどね、ずーっと前に「銃の使い方を修得しない武道家はインチキだと思う」という発言を読んで以来 esrにはなーんかひっかかるものがあったのです。みんな拳銃やらナイフやらへーきでもちこむ飛行機てのは、なんだか。この記事にたいしては既にいくつも反論がある。advogato.orgとか、newsforge.comでは議論ひとしきり。 _ むかしから Zmag なんかを読んでたという人が、ドンパチblog(ウェブログならぬウォーブログ)ウォッチblogをやっていて、esr が反イディオタリアン宣言が醸成されたblog (Armed and Dangerous)をつくったら、esr が飛行機をテロリストやハイジャックからまもる鮮やかなソリューションをもってドンパチblogにのってきたと書いてる。空港のセキュリティを強化したりパイロットに拳銃を携帯するなんてめんどくさいことせんと、かわりに旅客を武装するのだ、と要約。たしかに esrがいうてるのはそういうことですわな。そうか、パイロットに携帯させるという案があったか。この人はドンパチblogをきちんと観測していてなかなかおもしろい。「反イディオタリアン宣言」ができたときにも、このへんで、weapons of mass distractionが対抗して「反レトリック非宣言」というのをつくったと紹介しています。これは有名な物書きが対テロ戦争プロパガンダに荷担してしまうレトリックを冷静に説明していてなかなかすぐれもの。 _ ドンパチblogウォッチさん紹介のここもきになる。ついでに反戦blogというのもある。esr に異義をとなえるスレッドはここにもある。これポストした人が紹介してる反戦名言集もおもしろい。ちなみに slashdot.org で検索すると、わりとまともなチョムスキー読者が多いみたい。もともと技術系やしな。この記事なんかよくまとまってるけど、conspiracy とかいうたら陰謀説になる、それはちがう。 _ 脱線したけど、銃規制とリバタリアニズムについても調べてみた。生物出身でエドワード・ウィルソン好きで懐疑論者らしい Mike Hubenさんとこがすばらしい。リバタリアニズム批評のコーナーは目次みてるだけでも楽しい。カルト教祖アイン・ランド批判もあれば、政府と自由についてのコメントでは「政府は自由を破壊するのではなく、自由を生み出すのに不可欠なものだ」と言ったりして、とてもまっとう。サイファー・パンクの項目もあるし、リバタリアンはしばしばグロテスクなほど環境保護に反対するだとか、銃規制に反対するだとか。そう、銃規制が問題でした。銃規制のところにはエリック・レイモンドは出てきませんが、とにかくリバタリアンは規制されるのがイヤみたいですね。アナキズムの類語みたいにつかわれるから若干誤解していました。いやアナキズムといってもいろいろあるんですけど。社会主義の一種でもあるし、シュティルナーみたいな神秘主義も含まれることがあります。そのへんはアナーキー・イン・ニッポンでもごらんください。 _ そういえばここのテクノロジーによる自由論のページをみていたら、「公共政策はオープンソース・ソフトを支援すべきか?」という議論で、いま旬の(?)ローレンス・レッシグがエリック・レイモンドをたしなめていました。これは直接は戦争やら反銃規制とは関係ないけど、規制という点で本質的には繋がっていると思う。グローバリズムについて無知だったこないだから、スティグリッツのグローバリズムの問題点とかいろいろ読んで、東アジアの奇跡とよばれた経済成長とかその後の通貨危機についてちょっとかじって学んだのは、世の中適切な規制というのは不可欠なもんだということ。それこそMike Hubenがいうように、自由を生み出すためにも。問題はだれが、なんのために、どのように規制するかであって、規制を完璧になくそうとすることが解答ではない。適切なセキュリティ・チェックをした上で武器持ち込み禁止の飛行機と、誰でも武器でも持ち込んで構わない飛行機と、どちらにのる? _ ところで、リバタリアン批評の環境ページで発見したのが公害情報サイト。アンチ環境保護の神話と実践的懐疑主義がメインコンテンツかな。新着情報を見ると、期待どおり The Skeptical Environmentalist の Lomborg 関係の情報が沢山。これはおもしろそう。あ、ロンボーグ特集ページもあった。Scientific American 誌上の論争のみならず、それ以前も以降もフォローしてあって便利。 _ 温暖化については 50年100年の単位で考えないといけないし、年平均気温数度の変化でかなりの影響が考えられる。このことをエドワード・ウィルソンは最近の新著で数学の平均学力が少し上がったら、アインシュタインもそれほど希少な天才ではなくなる、とたとえている。食糧については、たしかにロンボーグのいうとおり生産量全体は増えているし、余っているところもあるほど。にもかかわらず食糧問題は危機的。本当に必要なところには行き届かない。若干の作物がとれるところでも、珈琲やバナナ(酷い場合は大麻や芥子)などの商品作物を作らされて(誰に?)、それを売って自分たちの食糧(主に穀物)を買わされる(誰に?)という状況。自分たちで自分たちの食うものを作るということができない(何故?)。ついでに戦争や旱魃で焦土化したり、無茶な単作農薬農業の副作用(緑の革命のつけ)でそもそも作物を育てられない処もどんどん増えてきている。エネルギーも、余っているところでは充分に余っている。日本も例外ではなく、稼働していない火力発電所を動かせば、原子力発電所がひとつもなくてもまかなえる。CO2排出量は増えるけどな。でも産業界の努力はなかなかのもので、今後のCO2排出量削減はどうしても交通やら民生にかかってくる。 _ 環境問題全体としては、なんとかできるかもしれないけれど、けっこうシビアではないかと思う。なんとなくうまくいってるもんだと安易に現状容認してしまうのも、勝手に打ちのめされてとちくるったり恐怖を煽ったりするも困ったもので、なんとかしようとしないことにはなんともならないだろう。山形さんの書評は、恐怖を煽るのは百害あって一利なし、前向きにやっていこうというくらいの趣旨だと思うけれど、ロンボーグの本の歓迎のされ方をみると不安になる。一方でここにリストアップされるような論争がおこっていることは、改めて冷静に認識するためにもよろこばしいことだと思う。 などとえらそーに書きましたが、若干データが欠けています。 *ツッコミたい方は頭からどぞー |
ほな私のあほをわけてやろう、あ、いらんてか…。
ほなわしのうんこも分けてやろう。ホレホレ
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http://ameblo.jp/tomoaki-takeda/entry-10004091338.html<br>個人的 書評ブログ<br>民主主義とリバタリアニズム〜「人間にとって法とは何か」より<br>橋爪 大三郎 <br>人間にとって法とは何か<br> <br><br><br>リバタリアニズムというのは、新保守主義とも言われ、福祉国家へのアンチテーゼとしてアメリカを中心に出てきた、新しい潮流の考え方です。<br><br>この考え方の根本は、反権力にあります。どういうときに、有無を言わせぬ国家権力